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実家に居ようとも自宅に居ようとも
親父とは必ず酒を吞みかわす
前立腺癌の抗癌剤で苦しむ前は
行けば必ずしていたこと
これが自分の親父に対する供養になる

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父亡くなる

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毎朝撮っていた赤い丹沢がなぜかピンボケした1月21日。
その時はいきなりやって来た。
妹から父が「今日明日持つか」との連絡。

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正月からその日の4日前までウィルス性胃腸炎で
食事も摂れず寝込んでいたため体力も衰えていた。
「生きている間に親父に会わなければならない」。
その一心で家を出た。
外に出たら空は青空で背中を押すかの様。
それまで近場しか行き来できなかった体に鞭を打ち、
駅へと急ぎ電車に飛び乗った。

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紅梅や白梅が目の前に見える
ホスピスの病室に移されていた父は
既に目も開けられず浅い呼吸をしながら
生死の狭間で闘っていた。
自分が声をかけた瞬間、顔が赤らみ呼吸が激しくなった
声が聞こえたのだろう。
生き延びようとする意志が伝わる。
しかし…

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15時頃心肺停止、15時26分死亡確認。
享年満84歳。父は旅立って逝った。

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不肖の息子だった。
父子喧嘩も絶えずいつも迷惑ばかりかけてきた。
最後の電話の会話も胃腸炎で苦しむ最中で
「ごめん親父、俺が先に逝くかもしれない」だった。
ただ父は自分が入院してからの心の変化を良く知り
今までの事しか知らない母や妹から自分をかばってもくれた。
自分が病気して初めて変わるなんて遅すぎたのだが…

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家に帰ってきても父の体は暖かかった。
死んでいるとは思えないほどに満面の笑顔。
その時だけ人目を忍んで泣いた。

命尽きるまで自分を心配してくれた父への最後の親孝行。
喪主は入院中の母に変わり全部引き受けた。
それからは泣く暇などなくなった。
妹に助けられつつも忙しい毎日になった。
あれやこれやの準備や作業。
父の遺体の管理。
追われるように作業が続きパニックになった。

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葬儀の日、喪主としての挨拶があった。
人前で話すのが苦手な自分を後押しして、
10分近いスピーチをさせてくれたのも父だろう。
接待も無難にこなしていった。
最後の最後まで父の手助けを受けるなんて
情けないやら申し訳ないやら。

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ずっと笑顔のままだった父の遺体はお骨と変わった。
まだ実家にいるが父の体を見れるのは
四十九日までの後数週間。
まだ気は張ったままだ。
父は生まれ故郷の群馬に帰っていく。
ここからではそう簡単に行けない距離。
恐らく自分が号泣するのはその日以降ではないかと思う。

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余談だが病床の母には父の死は隠している。
家にはもう戻れないだろうとの医師の話なので
余命宣告が出た時に話すつもりだ。

父の溺愛した母だ。
すぐに連れて行きたくなるだろう。
でも今ここで連れて行かれたら我ら兄妹共々心体を壊してしまう。
少しだけ父の母である祖母に甘えていてくれよな。

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最後は癌そのものと抗ガン剤の副作用で苦しんだ父。
今はもう三途の川も渡りさぞや楽になった事だろう。
3月4日に生まれ故郷で四十九日の法要を行うからな。
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童夢☆彡

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